Airで運べる荷物だけを持ってヤンゴン直行便に乗る♪
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    駐在決定後、会社をば辞め、たばたと結婚式を挙げ、一足早く現地へ旅立つ主人と見送り、

    その他諸々の手続きをやっと、やっと終え、荷物らしきものは殆ど持たず当時のANAの直行便に乗り込みました。

    なぜなら住居がまだ決まっていなかったから・・・

     

    当時は在留邦人が250人程しかいなかったのですが、これからの日本企業進出が見込まれていた為

    全日空が関空からヤンゴンまで直行便を飛ばしていました。

    これは本当に、本当に助かりました。

    荷物は羽田でチェックインし、関空で新たなお客さんを乗せ、ヤンゴンまで行けちゃうんですから。

     

    ただ、申し訳ないくらい空いていたんです・・・・

    ビジネスクラスなんて5人いるかいないか・・・(苦笑)席は30席くらいはあったかなぁ。。。

    エコノミーもガラガラ。。だから空いている席に途中で移ればフルフラットで寝れちゃったりして(笑)

     

    初めてのヤンゴン。

    上空から見えるヤンゴンの景色。。

    緑と蛇行する川。たまに動く車らしきライトの動き。パゴダ。キラキラ光るオレンジ色かよわい電灯。

    あれ〜!!!ここは首都ですよね??? このかわいらしい優しい控えめな景色を上空から眺め、何とも

    言えない懐かしい気持になった私。

    そして着陸。国際空港の印象。。。

    う〜ん。日本の地方空港より小さい? 気のせいかもしれないけれど若干滑走路がフラットではないような。。。(苦笑)

    バウンドしてる?もしかして(苦笑)そして暗い・・・電気がとにかく弱い。

     

    飛行機降りたらもちろんバスにてイミグレーションの建物へ移動なんですが、

    一瞬「????あれ???また日本に戻った?もしかして私?」

    と思わず懐かしい気持になってしまった。 日本で数年前まで使われていたランプバス?をそのまま利用。

    内装はどこ一ついじってない日本からそのまんま持ってきた状態で使用。

    あ、でも発車してからは前後のドア全開で豪快に走るところが唯一違っていました、そういえば。。。笑

     

    そんなところがとっても楽しくて、この適当さがたまらなくつぼにはまり、ワクワクしたのを今でも覚えています。

     

    この全日空のヤンゴン便、2000年には終了してしまいましたが、当時の在留邦人には心の安心にはなっていたのでは

    無いかなぁと思います。

    当時は日本でもやっと一人に一つ携帯の時代。とにかく規制が厳しかった当時のヤンゴンでは私に携帯なんてもちろんありません。日本との主な通信手段と言えば恐ろしく高い電話。。だって1分約1,000円の通話料。

    なのでもっぱらファックスかレトロな手紙。これが私にとって日本にいる両親へ近況を知らせる貴重な通信手段でした。

    手紙は最低でも7日くらいはかかったかなぁ・・・しかもちゃんと届くか・・・それすら危うかった(苦笑)

    だから日本とヤンゴンを直接結ぶ飛行機があるかないかでは生活していくうえで大事な安心材料になってたような気がします。

    何かあったらANAに乗ればとにかく帰れる!!

     

    当時のミャンマーは携帯電話を持つこと自体がとても大変で、夫は会社からの支給で携帯を持っていましたが

    携帯もなければパソコンでメールのやりとりも当時は出来なかったので友人とは殆ど音信不通状態(苦笑)

    日本の情報殆ど入らず。。。

    夫の会社やホテルに置かれた日本の新聞はミャンマーに都合の悪い情報があるとご丁寧にその記事だけ切り抜かれて

    きてる状態でしたから。。。

    だから今の自由なミャンマーが私にはまだまだ信じられないのです。

     

    でも当時はそれでも何とかなっていた、・・・携帯なんてなくても何とかなっていた。

    毎日、毎日殆ど家にいなかった私でしたが、何とかなっていました。

     

    今のようにSNSなんて夢のまた夢だった当時のヤンゴン。

    生活していくうちに

    「私は本当に遠く離れた外国に来たんだ」と実感することになるのです。

     

    こうしてヤンゴン生活スタートしたのです。

     

    1998年5月

     

     

     

     

     

     

     

    posted by: シュエラ | 記憶を辿りながら♪ | 23:23 | comments(0) | - |